こんにちわ、野性児(?)ナカゴミです。
今回は、ボディハックに寄稿頂いた文章をご紹介! しかもその内容・題名はかなり壮大なテーマになっております(驚)
私も常々感じてはいるのですが、今後オートメーション化が進むと体を鍛える人が増えて、人類は野生に還ろうとするのかもしれませんね。それではさっそくいってみましょう!
※以下、寄稿頂いた文章をそのまま(多少読み辛かった部分は校正かけてますが…)
世の中の価値観は移り変わるもの。
最近では身体を鍛える男女が増えてきて、小生としては非常にすみやすい世の中になってきていているなとおもいます。
そんな昨今ですが、世の中のいわゆるエグゼクティブと言われる人たちも、身体を鍛えるひとが増えてきています。
一体なぜでしょうか?
一昔前まで、金持ちといわれる人々は、肥えて脂ぎったようなイメージがありました。一般人が身体を鍛えるということもなかったというのに…
そこには様々な要素があると思いますが、そのキーワードが、「よく生きる」というものがあると考えます。
よく生きる事は身体を鍛えること?
ほんの100年前まで、クーデターや戦争、もっと時代を遡れば、飢饉や辻斬り、野盗など、、、人間はいつ死ぬかわからない、という状況でした。
それが、今の日本社会ではどうでしょうか。
餓死することはまれでしょう。戦争を身近に感じることもほとんどないとおもいます。成熟した社会で、モノがあふれ、法に守られ、自分の権利も守られます。
少し前まで、生きることに精いっぱい、生きるために生きる、といった人が多かったと思いますが、成熟した社会においては、人間の価値観のシフトが起こり、「生きるために生きる。」ということから、「よく生きる。」ということを考える人が増えてきているとおもいます。
そのよく生きる。ということの一つの手段が、「身体を鍛える」ということではないでしょうか。
身体を鍛えることで得られる健康面、精神面のメリットは広く認知されてきていますが、それ以上に、忘れていた感覚、失ったものを取り戻すという気持ちも見えてきます。
失った感覚を取り戻す
物質的に満たされたエグゼクティブが、なぜ身体を鍛えるか…一つは失った体力を取り戻すということもあるとおもいますが、重要なのは、人類として失った感覚を取り戻そうとする。ということもあるように思えます。
以前、アメリカに最新のトレーニング理論を学びにいったトレーナーが、「アメリカのエグゼクティブの間で、ウェイトトレーニングはもちろんだけど、裸足で芝生や砂地の上で行うトレーニングが流行っている」というエピソードをきいたことがあります。
そのトレーナーは、「満たされた人達は、原点回帰じゃないけど、失った動物的な感覚を取り戻そうとしているように見えた」というコメントをしていました。
成熟した社会において、トレーンニングすることで、闘争本能や、野性的な感覚も取り戻そうとしているのかもしれませんね。
さいごに
あなたは「人類」と「野生」の関係性、そして今後の未来について、何を感じ、どう思いましたか?
今後は今までよりももっと凄まじいスピードで世の中は移り変わっていくと思いますが、最後に信じる事ができるのは自分の肉体かもしれません。
私は攻殻機動隊が好きで、よく未来の妄想をするのですが、おそらくサイボーグだとか擬態という技術も生きているうちにでてくるのではと思っています。そんな時には生身の肉体自体の価値が今より上がっているかもしれませんね。
いやー野性的であり、知的なメンズでありたいものですな〜
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